
投稿者
■ どちらも東京の皇居で撮影されたもの。祖父は海軍の歯科医で自分のことを”空飛ぶ歯医者”と呼んでいた。
彼は空挺部隊の訓練を受けたおそらくただ一人の海軍歯科医だったから。戦後東京の占領軍に参加した。
この写真は1946年か47年に撮られたものだと思う。
木々や建物がどれほど成長したか見てくれ!
■ うん。こんなにも大規模な開発があったのに一枚目の木々がちゃんと残ってるのは本当にすごいなというのが第一印象だったよ。
■ なんてクールな写真だ。君はおじいさんの頬骨を受け継いでるね 🙂
■ じいさんは戦争で戦ったの?それとも戦争が終わった後に参加したの?
投稿者
■ 彼は太平洋戦争の終戦間際に短期間だけ戦った。実は彼が採用された話がちょっと面白くてね。
彼と彼の歯学のクラスは講義を受けていた。少し前に宣戦布告があって、海軍と陸軍から担当者が来て、”お前たちはスピード訓練を受けて2年で卒業してもらう。
クラスの半分は陸軍で半分は海軍だ。”と言われたそうだ。じいさんはたまたま教室の海軍の側にいた。
■ 狭い世界だ。俺の父親も当時SPとして皇居に配属されてたよ。そして海軍で歯を全部抜いて入れ歯にしてもらった。彼はペンシルバニアの貧しい農家で、歯が悪かったんだ。
■ 道路のラインが全く同じ場所なのも驚き。
■ あらゆるものがどれほど成長したことか。
■ あの木の成長が良いなーと思ってたんだ。
■ あの一つの建物を除いたあらゆるものがね。
■ 信じられないほどクールだ。最高の写真。
■ 両方に存在するあの建物は何?あれだけが両方にある唯一のもだってのがすごい。
投稿者
■ 皇居の一部。東京空襲を生き延びた数少ない建物の一つ。アメリカが意図的に避けたから。確か天皇に大規模な破壊の責任を痛感させるのと、アメリカの空爆の正確さを見せつける意図があったからだと思う。
■ 木も両方に写ってるじゃん。
■ 大規模な開発にもかかわらず、元の木がまだあってさらに増えててすごく幸せな気分になった。
■ ものすごい発展があったんだな!
■ これを再現しようとした日のことと、始めてから撮影までどれくらい時間がかかったのか話してくれるかな
投稿者
■ 少しの間日本に住んで、部屋代と食事代を無料で提供してもらう代わりに、様々な場所でボランティアをしようと思ってたんだ。
亡くなったじいさんは冒険好きだったような記憶があって、自分も同じことをしたいと思ったのがこれをやろうと思ったきっかけ。
出発する前に、彼の日本の写真を全部入手してデジタル化した。
現在と一致する場所を探すのにものすごい時間がかかった。
ほとんどの写真はラベルがないか、漠然とした説明しかなかった。さらに問題だったのは彼がいたころの日本はまだ破壊されたままだったということ。
それでも一緒に働いてる日本人が助けてくれて、皇居が写ってることが分かった。
ようやく銀座に行くチャンスを得た日は、文字通り日本最後の日で、その場所に一般人が行けるのか、広い皇居でこの場所を見つけられるかは分からなかった。
ようやく背景に写った建物を見つけた時は、日本を去るという気持ちと相まって、何とも言えない気持ちになった。
日本で2枚の写真を並べるのに良い仕事をしてくれていい時間を過ごしてくれた同僚であり友達のAureliaさんに感謝。
正直言って、日本での冒険については永遠に書いてられる。順調に行くことが多かったから。おそらくじいさんが助けてくれたのだろう。
■ 君が長い間生き別れになってた日本の親類を見つけられることを願う。
■ この場所をよく見つけたね。
■ 従軍した君のおじいさんに大きな拍手を送るよ。そして君が同じ場所に立てたこと、多くのものが変わったのはクールだと思う。
■ 素晴らしいね。おじいさんとほぼ同じ場所に立ってるね。
■ 彼らが人がつまずくようにすねの高さにガードレールを設置したのが好き。
■ 小さい木が巨木になってる。
後方のビル群以外は殆ど変わってない! 凄い貴重な写真ですね、道路の白線まで同じ位置だね!
今日もお仕事お疲れ様です。 いつも見てくださってありがとうございます、よろしければコメントやイイねお願いします
