海外「胸を撃たれて死ななかった!」英雄話から悲惨話…第二次大戦で生き延びた祖父祖母の話が海外で話題に(海外反応)

海外「胸を撃たれて死ななかった!」英雄話から悲惨話…第二次大戦で生き延びた祖父祖母の話が海外で話題に(海外反応)



投稿者
第二次大戦で生き残った人の話って聞いたことない?
自分は父方も母方も、戦時中に亡くなったり、戦争の子とは話したがらなかったりしてぜんぜん知らないから

うちの祖父はよくドイツ軍に占領された時代に食糧難だったって話をしてたな 学校へ行く途中に空腹で気を失ったんだって そのとき知らない人にもらったひとかけらのパンが命を救ったんだって言ってた 祖母は同じ村の若者が、「金色の服を着れる」って言われてレジスタンスに参加して、そのまま戻ってこなかったって話をしてた

祖父はギリシャの全線で無線交換手をしてたけど、戦争から戻ってきたらまるで別人だったそうだ たぶん今で言うPTSDだったんだろうね あとなぜか柔らかいパンを以上に嫌ってた 

85歳の祖母 第二次大戦当時はまだ子供だったと思う 両親と電車に乗ってたら急に停まって、全員検査された スパイと間違われたんだろうけど、古い民謡を歌ったら通してくれたんだって

戦闘機が通ったときに川岸で木の陰に隠れてたって話を、祖父の従兄弟がよくしてたな

曾祖父がロシアのスターリングラードで戦ったって聞いたけどな うちの祖父母はドイツ人なんだけど、当時は大変だったらしい 

↑自分もドイツ人だからなんとなくわかる

↑祖母と同じ村に住んでいた金髪の17歳のドイツ人の男の子は広場に引きずり出されて、射殺されたって



うちの父方の祖父は機関銃の砲手で、戦争から戻ってPTSDになったらしい 母方の祖父は子どもの頃町が爆撃されて行くのを見てた記憶があるそうだ

祖父は戦争に行って、ソビエトに捕虜にされてそのまま帰ってこなかったと聞いてる

祖母はウクライナに住んでたけど、父親がユダヤ人だったから殺されたそうだ

祖父母が住んでいた町ではたくさんの人が亡くなって、壊れた家で泣き叫ぶ子どもの声が夜な夜な聞こえたそうだ

戦後、マケドニアを制した共産主義者は、かつての金持ちの家を掘り返させた そしたら金塊とか現金やじゅうたんが山ほど出て来たらしい

曾祖母は15歳のとき、ナチスの病院で耳に入れる薬を処方されて、そのせいで耳が聞こえなくなったんだって 



うちのひいひいおばあちゃんは胸を撃たれて生き延びたんだよ

曾祖父がイタリア兵が来た時にシェルターに隠れてやり過ごしたって言ってたな まだ5才だったらしい

うちのおじいちゃんは21人のドイツ人を殺したって言ってた

うちの祖父の家族には警官がたくさんいて、トランシルバニアからアウシュビッツまでユダヤ人を護送したらしい

祖父の姉が10歳、祖父が1歳のときに村中揃って逃げることになったらしい 抱っこして森を走ったんだって

母方の曽祖父はドイツの労働キャンプに収容されてた 戦後解放されたけど、そのときもらったドイツ紙幣はまったく役に立たなかったって



ウチの母方の祖父は戦艦陸奥に乗船してて2航海して帰国してる時に出航した時に潜水艦に撃沈されたって話しを聞いた事を思い出したよ

今日もお仕事お疲れ様です

よろしければグッド👍やコメントお願いします

にほんブログ村 ニュースブログ ニュース 海外の反応へ
にほんブログ村

投稿者: きたじましゃぶろう

武器ー忘れる、無くす、 朝持って出た傘など必ずと言っていい程何処かに忘れるとかサウナに行って腕時計忘れてくるとかその他 よろしくお願いします。

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう